フランクD.ハート
フランクG.ハート(Frank G. Hart)の長男、デニス、ジョン、ロバートの兄であるフランクD.ハートは、若いころからビジネスの成功と発展には伝統価値と近代思考の結合が欠かせないと思って来ました。第2次世界大戦直後にシドニーで生まれた家族中心に行動するフランクの強い個性は、今日もビジネスに色濃く反映しています。事業草創期に、ハート一族はニューサウスウェールズ州シドニーからJohn Dee設立の地となったクイーンズランド州ウォーウィックへと拠点を移しています。
学校を出るとフランクは先祖に倣って技師の道を歩みます。ハート家家業のジョン・ディー酪農会社で父と冷蔵技術を研究し、ブリスベーンとクイーンズランド北端に複数の会社を経営しました。その交易体験から、冷凍ビーフ事業に不可欠のコールドチェーンに精通できました。その食品の安全における重要性と、加工から食卓までの流れを理解できるようになったのです。
フランクの初来日は、日本が食品供給を海外に求め始めた1981年のことでした。オーストラリア政府は「オージービーフ」促進のためにジョン・ディー社を招聘、フランクは拡大する日本の牛肉市場にジョン・ディーのネットワークを拓いて行きました。そのご縁は35年以上を経た今も息づいています。1988年に彼が創設したハーネット社は、その強固な開拓力の賜ものです。高品質の食品供給というハート一族の信念は多文化を愛するフランクと相まって、業界の幅広い顧客・供給者・同業者を鼓舞し、尊敬を集めています。20年以上もハーネット社を経営してきたフランクD.ハートは今も業界の偉人として崇められ、進取と決断の精神を象徴しています。
フランキーJG.ハート
ハート家の伝統に従って、フランシス・ハート(Francis Hart) 4人目として誕生。「フランキー」の愛称で親しまれるフランシスは、ウォーウィックで生育し、子供のころから父や曾祖父譲りの技師気質でした。また父親と同じく海に魅せられた若者で、オーストラリア各地を巡航しながら、ヨットマンとして州や全豪の数々のタイトルに輝いています。
フランキーもまたジョン・ディー社で技術を研究し、父と同じフィッター・ターナー見習い制度を修めました。この時、冷蔵と機械設計の技術を磨いています。工場の機械操作に従事しながら、腕は長年にわたって磨かれています。英国や欧州諸国に渡って仕事をしました。ブリスベーンの大きな病院にも技師として奉職しました。
フランキーは、ハーネット社勤務当初から定期的に日本に渡航して急成長の牡蠣事業で父を補佐し、本当に楽しめる場所、日本が好きになりました。ついに日本定住を決断し、品川にハーネット流通センターを創設しました。トラック1台から始めた事業でしたが、扱うハーネット商品は急増し、顧客も拡大し、今ではトラックの大群が稼働しています。
美味しい食べ物と最高のサービスへの人々の情熱は熱く、食品産業つねに未来から挑戦されています。父の直伝のもと、成長産業にあって、フランキーはますます日本市場に習熟し、ハーネット社の事業拡大に大志を抱いています。
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